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土佐人力

【女性の力で林業に活力 濱崎康子さん】

15年05月14日(木)

今日は、山主との信頼関係を第一に、林業に取り組む女性です。森林率が全
国トップの高知県。樹齢が50年以上と切り出しの時期を迎えた人工林があち
こちにある四万十町で、7年前に林業を始めた女性がいます。しかし、間伐の
事業はずっと赤字続きです。それでも事業を続けていこうと奮闘する女性
の思いとは? 今日の土佐人力は、四万十町の林業家濱崎康子さん(41)です。
四万十町窪川。ここに7年前、林業に参入した建設会社の出張所があります。
林業部門の代表を務めるのは濱崎さん。濱崎さんは名古屋出身。10年前に、
四万十町出身の夫が実家の建設業を継ぐことになり、一家で移住しました。
しかし、当時は不況で公共工事が少なく、新たに何か始めなければと県の
異業種セミナ−に参加した濱崎さんは、複数の人工林を、まとめて手入れし
ていくという「森の工場」というシステムに商機を見出しました。濱崎さんが
手掛けている森の工場は、辺り一面、樹齢が50年を迎えたヒノキが空高く枝葉
を伸ばしています。「上を見ながら枝が混んでいる所を狙う」と話す濱崎さん
は、山主の許可を得て間伐を行ったり、伐採の時期を迎えた木を切り出して
市場に出しています。
しかし、森の工場をビジネスにするには課題が山積していました。元々、
道も無かった山です。このため木を切り出すためには、道を拓くことから始め
なければなりません。また、木材価格の低迷が続き、補助金を受けても切り
出すコストの方が高くついてしまうのです。それでも濱崎さんは、山主に
木の売上の一部を還元してきました。「どんなことされるのか。最初から
やって下さいという山主はいない。誠心誠意対応し、山を壊すつもりはない
というのを何度も足を運んで説明し、信頼関係を築いていく」と濱崎さん。
山は山主が大事にしてきた財産。その山を手入れさせてもらうという姿勢を
何よりも大事にしているのです。
濱崎さんの主な仕事は、山主と間伐の時期を決めたり、整備のプランを立てる
事。名古屋で暮らしていた頃はダンプカ−の運転手だったという濱崎さんです
が、林業に特別な魅力を感じていました。「50年を超えている木が、自分が植え
てから収入まで、孫やひ孫の事を考えてそれを業にしているのは林業くらい。
そこが魅力」と言います。今、県内には、切り出しの時期にあるにも関わらず、
山主の高齢化で切る人がいない人工林があちこちにあります。濱崎さんも本来
は、森の工場だけをやっていきたいのですが、新規参入の厳しさから会社の
林業部門を続けるために、最近、他の事業にも乗り出しました。
黒潮町の現場では全ての木を切り出す「皆伐」が行われていました。ここで
切り出された木は、宿毛市の木質バイオマス発電所に運ばれています。皆伐した
木材を売ったり、入札の仕事などで収支を合わせています。また、濱崎さんは、
コストを下げるために機械化を進めています。四国で初めて導入したスウェ-デン製
の機械は、手作業で行っていた枝の伐採や丸太のカットを機械で行い作業効率を
飛躍的に高めました。さらに濱崎さんは、従業員と一緒に奈良県の先進的な
企業を訪れ、山を壊さない道のつけ方等の勉強を続けています。最近ではその
活動が知られ、新規参入を検討する建設業者から講演に呼ばれたり、去年は国が
企画した林業の成長産業化に向けた女性の検討会のメンバ-にも呼ばれました。
濱崎さんの会社の林業部門は、濱崎さんの他は全て男性ですが、将来的には
女性だけのチ-ムで山の仕事をしたいと考えています。「山を育てる作業は、女性
的な仕事と思う」と話す濱崎さん。林業に参入し、ビジネスとしては厳しいなが
らも山の手入れに情熱を注ぐ濱崎さんが大切にする言葉とは。
【利他の心 濱崎康子】「山主さんの立場に立ち、山主さんが利益を得られるよう
に心がけている」。相手を思いやる濱崎さん。女性ならではの感性と心配りで
これからも山の再生に力を注ぎます。

【故郷の漁師町を守りたい 田中隆博さん】

15年04月23日(木)

今日は、故郷の漁師町を守りたいと活動する中土佐町の男性です。ズラリと
並んだ鰹。今年も本格的な鰹のシ−ズンがやって来ました。中土佐町久礼の漁港
では、日に日に水揚げが増え、市場も早朝から活気づいています。競りに参加する
一人の男性。県内のみならず、全国からもお客さんが訪れる人気鮮魚店の店主です。
一時は町を出たこともありますが、24年前、故郷に戻ってきました。その思いとは。
「漁師が中心の町で、魚がいなくなったら町がダメになる。漁師町を残さないと」。
今日の土佐人力は、中土佐町久礼田中鮮魚店四代目、田中隆博さん(54)です。
中土佐町久礼。言わずと知れた県内有数の漁業の町です。「土佐の一本釣り」に
代表されるように、町そのものが特に鰹にこだわっています。港の近くにある「
大正町市場」。今年で100周年という歴史あるこの市場に、同じように歴史を刻んで
きた老舗の鮮魚店があります。この店を切り盛りするのが四代目の田中さん。「
この辺は鰹を刺身で食べる。すっぴんで勝負できる鰹じゃないとこの辺ではやっ
ていけない」。多い時には一日に百本もの鰹をさばく田中さん。そうした鰹への
自信とこだわりが評判となり、地元のみならず、県外からも大勢のお客さんが訪れ
るようになりました。
この町で生まれ育った田中さんですが、実は最初から店を継ごうと決めていた
わけではありませんでした。「小学校の時、この浜で2〜3回溺れかけた。ここに居た
ら命がいくつあっても足らん」と中学で高知市内の学校に進学してから地元を
離れ、東京の大学を出た後は、商社に就職しました。中国の工場で6年半、現地の人を
まとめるなど会社の期待を背負う中、田中さんはある思いがこみあげていました。
「サラリ-マンって楽かと思ったけど、全力で頑張らないといけない。力一杯働くんだった
ら田舎に帰って自分の家を継ごう」と田中さん。そして24年前、30歳の時に故郷の
久礼に戻りました。しばらくは、魚をさばくこともままならない日々が続きました
が、父親の背中を見ながら一生懸命に働きました。そんな息子の姿を父親は「町が
厳しくなった時に帰って来てくれて嬉しかった」と頼もしく見つめていました。
田中さんが久礼に戻ってしばらくした頃、急速に町が衰退していくのを感じた
と言います。人口は、この20年で2千人以上減り、久礼で15隻ほどあったカツオ船も
5隻まで減ってしまいました。「漁師が生活できる値段。魚屋が儲かる値段。そのた
めには単価を上げないと。漁師も魚屋もお客さんも喜ぶ。それでビジネスが喜び
と共に回っていかなければ町がもたない」。魚を安く売るだけでは漁師の生活が
成り立たない。一次産業を守ることが、その先にいる商売人やひいては町全体を
守る事になる。そう考えた田中さんは、鰹を中心に付加価値を高めることに努め
ました。新たな取り組みとして、店で買った魚を持ち帰るのではなく、その場で
食べてもらえるように、店の前に食堂を作りました。この食堂が、思わぬ客層にも
好評を得、田中さんも「若い人がこんなに魚を食べるのか」と思ったと言います。
さらに、地域を盛り上げるため様々なイベントにも携わってきました。今では一万人
を超える人で賑わう中土佐町の人気イベント「カツオ祭」にも関わったほか、「企画・
ど久礼もん企業組合」を町内の仲間と共に立ち上げ、地域の食材を使った商品を
開発し、「久礼」の名前を県内はもとより、全国にアピ−ルしてきました。店自体も
優れた経営をしている食品小売店の表彰で、最高位の「農林水産大臣賞」を県内で
初めて受賞するなど全国からも注目を集めています。
故郷久礼に戻って20年余り。町のこと、そして漁師さん達のことを思い必死で
働いてきた田中さん。今、大切に感じている言葉とは?【夢と創造 田中隆博】
「町の人や漁師さんが安心して暮らせるように」自分だけが儲けるのではなく、
地域の特色を活かして、みんなで豊かになることを目指して。今日も大正市場
に田中さんの明るい声が響きます。

【高校野球で故郷に活力を 横川恒雄さん】

15年04月16日(木)

今日は、高校野球で故郷を盛り上げようとするあの名監督です。山間にこだま
する高校球児の元気な掛け声。そして・・・時には激しく、時には満面の笑顔で
球児達を指導する土佐人がいます。その人とは、かつて室戸高校を初めて甲子園
に導き、ベスト8に進出させた名監督。今は、故郷梼原町に帰り、野球部の指導をし
ながら地域にも活力を注いでいます。甲子園を沸かせた名監督が、廃校寸前の
実績のないチ-ムを率いるその理由とは?今日の土佐人力は、高校野球で故郷に
活力を呼び込む横川恒雄さん(62)です。
雲の上の町梼原。人口わずか3600人、人口の減少が進んでいます。その町唯一の
高校が梼原高校です。この10年、生徒数が三学年合わせて100人を切ることも度々
で、一時は廃校が本格的に議論されましたが、ここ数年、徐々に生徒数が回復して
います。その要因となっているのが、今年創部9年目になる野球部の存在です。
野球部監督を務める横川さん。この4月で就任3年目を迎えました。選手の今の
力を見極め、一歩ずつ成長を促す。長い指導経験に裏打ちされた理にかなった指
導には定評があります。
梼原町越知面出身の横川さんは、伊野商業や法政大学で野球に取り組み、1975年
から臨時教員として母校伊野商業で野球部を指導。熱血指導者として名を馳せま
した。さらにその名を全国に知らしめたのが室戸高校監督時代。2007年春、初めて
室戸高校を甲子園に導き、優勝候補を破る快進撃で、ベスト8に進出。過疎高齢化が
進み、寂れる一方だった室戸を元気づけました。
横川さんには野球を指導する上で大切にしている事があります。「一人一人の
将来まで考える」。かつて養護学校に勤めた経験が、単なる野球指導者だった自分
の殻を打ち破るキッカケになったと言います。室戸高校から伊野商業へ移った
横川さんは、母校の野球部を陰で支えたいと考えていました。しかし、故郷梼原町
から地域を挙げた誘いを受け、定年退職と同時に梼原高校の監督に就任しました。
「伊野で終えるつもりだったが、梼原に室戸の喜びを味合わせたい」と横川さんが
まず考えたのは、地元の学校や野球部に対する正直な気持ちを知ること。酒の席
などで町民とコミュニケ-ションを重ねるうち「梼原高校を守りたい。全力で野球部を応援
したい」という熱い思いに心を揺さぶられました。
前向きな横川さんの姿を見て、住民や行政からの支援が次々と集まり始めました。
バットやボ-ルだけでなく、地元の建設会社からは最新型のバッティングマシン、森林組合から
は筋力トレ-ニング用の間伐材、極めつけは、一年中気兼ねなく練習に打ち込めるグラウンド。
こうした支援に生徒達も応え、去年夏は初めて県大会ベスト8進出を果たしました。
この活躍に町内の反応も変わってきました。横川さんは、野球部を指導する傍ら、
梼原町の社会教育ス-パ-バ-ザ-も務めています。ここでも大切にするのは「子供一人
一人の将来を見越した教育」。この春には、町内の幼稚園・保育園を統合し、子育て
世代の若い世代の定住をサポ-ト。小中学校も統合し、町内で高校まで進める環境を
整えました。また、横川さんの助言で、廃校を利用した地域の施設を宿泊のできる
合宿所として整備しました。訪れた学生と地元の子供達との交流につながり、野球
部も練習試合ができるチャンスが増えました。
今月、梼原高校は56人の新入学生を迎えました。50人を超えたのは14年ぶり、この
うち22人は野球部。実に男子の3人に2人が入部しました。15人だけだったグラウンドも
37人に増え、活気がみなぎっています。競争が生まれ、切磋琢磨する状況は、8年前、
室戸高校が甲子園を勝ち取った時の状況に重なります。室戸で実現したあの夢を、
今度は故郷でしようとしています。【次につながる失敗は成功への近道である
横川恒雄】横川さんのリ−ドで、雲の上の町に今日も球児達の元気な声が響きます。

【木工デザイナ− 梨千春さん】

15年04月02日(木)

今日は、四万十川沿いの工房で、こだわりの木工品を生み出す男性です。卓越
した技術で、端材や流木を魅力ある木工品へと生まれ変わらせる男性がいます。
木の温もりが感じられる味わい深いアイテムの数々。その手仕事に込められた
思い。そして、都会でデザイナ−をしていた彼が歩む道を変えた訳とは。
今日の土佐人力は、四万十市でオンリ-ワンの木工品を生み出す四万十自然工房
「杣人」の梨千春さん(53)です。カヌ-下りに挑戦しているのは春休みの子供達。
四万十川沿いに元気いっぱいの声が響きました。自然体験ツア-に参加した子供達
が宿泊しているのが四万十市西土佐の「四万十楽舎」。子供から大人まで、人気の
高い自然体験型の宿泊施設です。この施設で木工体験プログラムを担当するのが
梨さん。子供達が挑戦しているのがコ-スタ-作り。薄く削いだ木をカッタ-で切り、一つ
一つ編み込んでいきます。「木に触れるきっかけになればと思って。子供達の笑顔
を見たら教えて良かったとつくづく感じる」と梨さん。
四万十楽舎の梨さんの工房です。木材の切れ端や流木を使って、ペンやホッチキス等の
文房具から風合い豊かな椅子や机などこれまでに数々の作品を製作しています。
梨さんの手に掛かれば何の変哲もないただの木が、まるで魔法をかけた様に変身
し、魅力ある木工品へと生まれ変わります。各地で個展も開いてきた梨さん。中で
も贈り物に人気なのは時計で、これまでに千個以上の作品を世に出しています。
梨さんが凄いのはその細かい手仕事の早さと正確さです。我々に笛を作ってくれ
ました。少し確度が違えば音も鳴りにくく、細かな作業が求められますが、梨さん
は、あっという間に仕上げます。製作過程に使われるのが何十種類にもなる工作
機械やのこぎり。梨さんの道具への愛情は人一倍で、ナイフは毎日研ぎ、メンテナンスにも
気を遣います。「妥協したらいけない。カタチに出ちゃうので。やってると段々
ハマって集中する。時間を忘れる。多分好きなんだろうと思う」と梨さん。
作品に多く使われているのが四万十川の流木。梨さんの一番のこだわりが、その
自然素材を生かすことです。「自然をできるだけ生かす。木のイメ-ジから作ることが
多い。流木のカタチを見て、何かに使える。椅子かな時計かなとかそんな発想。かな
わないと感じる。自然に育ったカタチを見ると」と梨さん。
梨さんは四万十市西土佐出身。愛知県の芸術大学を出た後、自転車メ-カ-や広告代理
店でデザイン関係の職に就きます。大量生産・大量消費の時代。日々の仕事に追われて
いた梨さんは、自らの仕事に疑問を持つようになります。「自分のものでなく、周り
に影響されたものを作るようになってしまってる自分がどうしてもあって。それな
ら自分じゃなくてもいいかなぁと思った」と話す梨さん。
仕事を辞め、17年前、故郷にUタ-ンを決めた梨さんに運命的な出会いが待っていま
した。それが、廃校となっていた旧中半小学校に開設された四万十楽舎です。当時の
立ち上げメンバ-に誘いを受けます。木工などやった事がなかった梨さんでしたが、
挑戦を決めます。それ以来、一緒にやってきた四万十楽舎の仲間達の存在が、今の
梨さんをつくっています。「四万十楽舎は、地域の文化を伝える施設だと関わって
感じた。僕一人では出来ないが、仲間となら出来るという感じが有り難くて」と
当時を話してくれた梨さん。今では施設に欠かせなくなった梨さんの存在。施設の
スタッフは普段から木工品に限らず、モノが壊れると梨さんに修理を頼む等、梨さんに
助けられていると話します。
四万十楽舎と共に17年、木工の世界にのめり込んだ梨さんが、こんな言葉を書いて
くれました。【古の未来 梨千春】「手道具、手でモノを作る技術。そういう技術を
未来につなげたい」温もりのある木工の世界。梨さんはこれからもこだわりの
手仕事を通して地域を盛り上げていきます。

【料理で嶺北を盛り上げる女性 原景子さん】

15年03月26日(木)

今日は、嶺北地域を料理で盛り上げようと取り組む女性シェフです。ずらりと並
ぶランチバイキングの料理。本山町にあるこのレストランでは、食材の野菜や肉などは嶺
北地域でとれた新鮮なものにこだわって提供しています。お客さんらの評判
も良いこの地域密着レストランを切り盛りする女性シェフは、商品開発をはじめ、オリジ
ナルのレシピも次々と生み出しています。「商品開発に関しては、地元嶺北のもの
もそうですが、高知県全体で良いものを使っていこうと」メニュ-や商品開発の裏
にある地域への想いとは。今日の土佐人力は、レストラン四季菜館シェフ原景子さん
(35歳)です。
嶺北地域、吉野川沿いの山間に開けた本山町。この幹線道路沿いにある四季
菜館では、1年半ほど前から様々なジャンルの料理を提供するバイキング形式のランチ
を週1回スタ-トさせました。フレンチ主体だった19年前のオ-プン当初のスタイルから徐々
に脱却を図りつつあります。そのメニュ-構成の考案や調理に携わるのがシェフの原
さんです。「その日その日で一番良い食材、旬の食材を使っている」と原さん。
原さんの毎朝の日課は、レストランのすぐ隣にある直販所「さくら市」に出かけ、
嶺北地域の新鮮な野菜を仕入れる事。レストランのお客さんに少しでも新鮮なもの
を提供できるよう素材の買い置きはしないほか、原さんならではのオリジナル料理
に対するこだわりもあると言います。「お客さんに喜んでもらうのが基本だが、
野菜や肉をこんな風にできるんだと驚いてもらいたいという気持ちがある」。
原さんは、地元本山町の出身。幼い頃から料理が好きで、高校時代にオ-プンした
ばかりの四季菜館でアルバイトしたのをきっかけに調理師の道へ。そして19歳の時
から縁のあったこのレストランで厨房スタッフとして働くようになります。原さんは、
ランチやディナ-の合間の時間を使って、新たな商品開発などに取り組んできました
が、その努力が1年ほど前から実を結び始めます。去年は、鹿のミンチ肉と相性の良
いサトイモをすり潰し油で揚げた「シカッチャロ-ル」を考案、ジビエ調理のコンテストで最優秀賞
に輝きました。また、今月初めに香川県で開かれたコンテストではおよそ300作品の
中から見事グランプリを受賞。早速、四季菜館でも地元バ-ジョンの「はちきん地鶏の
米粉ソテ-・キウイオリ-ブソ-ス」としてメニュ-化されています。四季菜館橋本マネ-ジャ-も「頭
の中を見てみたい。斬新且つ昔からのものも頭に入っている。アイデアがいっぱい」
と話します。
四季菜館ではここ数年、レストラン運営だけでなく加工品開発にも力を入れていて
ドレッシングのバリエ-ションを増やしています。この日は、町内でキムチ作りに取り組むグル
-プと連携し、ニンジンを使った新たなドレッシング開発に向けた試作を行いました。
「お子様でも食べられるようちょっと甘めに工夫して本当にキムチソ-ス?と驚いて
もらいたい」と原さん。キムチ生産組合代表も「地元産品が沢山できればいい。これ
からも協力させてもらいたい」と話します。また、地元高校生達が栽培した野菜
も積極的に取り入れています。量は多くないですが、高校生達の励みにもなり
地域との関わりを学ぶ実習にも一役買っています。
嶺北地域で一生懸命暮らす人達の様々な想いを料理を通して伝えていきたい。
そんな原さんが大切にしている言葉は【架け橋 原景子】「私達が作る料理や
商品を通じてお客さんと生産者が繋がっていければいいなと。架け橋の役割に
これから自分がなっていけたらいいなと」。原さんは、大好きな故郷嶺北地域が
自分の生み出す料理をきっかけに少しずつでも活性化する事を夢見て、今日も
料理や商品開発に情熱を注ぎます。

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