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土佐人力

【世界を魅了するギタリスト 松田弦さん】

15年03月19日(木)

今日は、世界中のファンを虜にする男性ギタリストです。トレ-ドマ-クはドレッドヘア-。激し
く、そして軽やかに弦を弾くその指先。圧倒的なテクニックと叙情豊かなセンスで世界
中のファンを魅了する若手ギタリストがいます。その音色と自らの音楽活動を通して
彼が届けたい思いとは。今日の土佐人力は、黒潮町出身のギタリスト松田弦さん
(32歳)です。
黒潮町出身のギタリスト松田さん。この日は、子供達の前で情熱的なメロディ-や繊
細で優しい音色を響かせました。「子供達の素直な反応とか笑顔が見られて
すごく楽しかった。元気をもらいました」と松田さん。松田さんは、音楽の都
オ-ストリアのウィ-ンを拠点に活動していて、イタリアの音楽学校に通うなどして技術を
磨く日々を送っています。帰国した時は東京を中心に全国で演奏会を開いて
いる国内屈指のギタリストです。「国内移動は慣れたが、海外の移動は大変」と松
田さん。松田さんの相棒であるギタ-。「これはクラシックギタ-です。特徴は、アコ-スティック
ギタ-と違い弦が鉄製ではなくナイロン製で、透明な釣り糸と同じようなもの。柔ら
かい音が出ます」。そして、ギタ-を弾くのに重要なのが、弦を弾く右手の爪。
「0.1ミリとか少しの事で音が変わる。練習の時は良いが、気になると磨きます。
磨くのが右手だけなので、電車の中でやると変な目で見られます」。松田さん
はいつも長さを一定にするためこまめに磨きます。
目を見張るのがそのテクニック。ベ-ス音など5つの音をギタ-一本で同時に表現し
ます。*ブエノスアイレスの夏 お気に入りの曲「OVER THE RAINBOW」を弾いてもらい
ました。これまで海外を含め、様々なコンク-ルで数々の賞を獲得し、メジャ-デビュ-
している松田さん。2年前、日本人初となるある快挙を果たします。フランスで開か
れた世界的なイベント「アントニ-国際ギタ-コンク-ル」で優勝。合わせて課題曲賞・聴衆賞
とタイトルを総なめにしたのです。「初めてヨ-ロッパのコンク-ルで1位を獲れたので凄く
嬉しかった。自信になりました。ギタ-は人生そのものです。僕にとっては」と
松田さん。
松田さんは黒潮町出身。ギタ-を始めたのは小学6年生の頃でした。きっかけと
なったのは「弦」という名前を付けるほどギタ-を趣味にしていた父親の影響で
した。中学に入るとさらにのめり込み、高校は全国コンク-ルの常連校、岡豊高校
の音楽コ-スに進み、3年生の時、日本一に輝きます。今では国内屈指のギタリストの
呼び声高い松田さん。その結果を生み出しているのが練習量ですが、一方で、
その練習量が苦難に追い込んだ時期もあったそうです。「5・6年前に左手の薬
指が痛くなりしばらく弾かなくなった時期があった。弾きたい時に弾けない。
何をしたらいいのかも分からなくなり、このまま弾けなくなったらどうなるん
だと思って。不安で精神的に落ち込み、自分からギタを取ったら何が残るんだ
ろう」と松田さん。指の痛みは1カ月程で癒えましたが、心の傷は残ったままで
した。そんな松田さんを救ったのは故郷に帰ると必ず会う幼馴染みの仲間達
です。応援してくれる友人と過ごす他愛のない時間。どん底だった松田さんの
心を癒やしてくれました。
「仲間は僕にとってなくてはならない存在」と話す松田さん。東京に旅立つ
日、母校を訪ねました。松田さんのテクニックにギタ-部のメンバ-が目を奪われます。
「僕も当時1位になりたいという夢だけで、ギタ-部に入り練習していた。違う
目標かもしれないですけど夢に向かって頑張って欲しい」と後輩達に話す松
田さん。「今後、国内海外で活躍し、子供達に夢を与えられる目標になるような
存在になりたいと思う」。弦という名前がやっと似合うようになってきたと話
す松田さんがこんな言葉を書いてくれました。
【やりたいことをやる!松田弦】「何かに情熱を捧げている人、沢山いると
思う。それを本当にできるところまでやりきって欲しい。僕もこれから自分の
夢に向かってやりたい事が沢山あるので一生懸命頑張っていきたい」。
松田さんはこれからもトレ-ドマ-クのドレッドヘア-を揺らし、世界中を魅了するその
音色を奏で続けます。

【ものづくりに情熱かける男性 坂本税さん】

15年03月19日(木)

今日は、伝統産業から防災産業まで性能にこだわった製品を作り続ける男性
です。土佐打ち刃物の製造に欠かすことができないベルトハンマ-や水門等を遠隔
操作で閉める事ができる自動開閉装置。伝統産業を支える機械や災害から命を
守る防災製品まで性能にこだわった自社製品を生み出し続ける香美市の男性。
東日本大震災を教訓に開発した水門の自動開閉装置。参考にした70年前の技術
とは。今日の土佐人力は、ものづくりに人生を捧げる老舗機械メ-カ-社長坂本税
さん(77歳)です。
香美市土佐山田町の坂本鉄工所。創業80年を超える老舗機械メ-カ-です。年季の
入ったパソコンで設計図を作るのは社長の坂本さん。3歳の時に患った小児麻痺で
左足に障害が残り、3年ほど前から車椅子で生活しています。坂本さんが開発し
た全国トップのシェアを誇る製品があります。それが、伝統工芸品土佐打ち刃物の
製造に欠かすことができないベルトハンマ-。熱した鉄や鋼を叩き刃物を作るもので、
職人がペダルを踏んでハンマ-の落ちる速さを調整する仕組みです。坂本さんは、こ
の機械の精度を上げる事に取り組み、最新の技術や材料を取り入れて回転数や
操作性を飛躍的に向上させました。
坂本さんは今、新たな製品の開発に挑んでいます。電気を必要とする製品に
コンセントなどを介さずに電力を送る技術です。坂本さんはこれを防災機器に活用し
ようと研究を続けています。坂本さんは香美市出身。実家が鉄工所を営んでいた
ことから、小学生の頃からラジオや無線機を作る事が大好きな少年でした。高校を
卒業後、坂本鉄工所に就職、ものづくり一筋に生きてきました。
2012年、雨が降りしきる中、行われた製品の発表会。坂本さんが県内の企業とし
て初めて開発した水門や陸こうの自動開閉装置です。この装置の特徴は主に3つ。
一つは、窒素などの圧縮ガスを使ったエアモ-タ-で扉を動かすこと。燃焼による火災や
爆発の心配がありません。二つ目は、太陽光発電による独立電源。そして三つ目は
携帯電話やリモコンで操作する遠隔操作システムです。「震災で防災関係の人が犠牲にな
ったということから少しでも人の命が救えたらと思って」と坂本さん。東日本大
震災では、水門を閉めに向かった多くの消防団員が津波の犠牲となりました。坂
本さんが完成させたのはこのリスクを軽減する装置で、これまでに高知市や須崎市
に設置されています。実は、この装置の一部はある70年前の技術を参考にしたと
言います。戦争が激化した1944年頃、坂本鉄工所は強制的に武器等を作る軍の工
場となりました。子供ながらに武器の製造工程を目の当たりにした坂本さん。
水門の自動開閉装置を作る上で動力源として頭に浮かんだのは、戦時中、魚雷
に使われていた圧縮空気でした。仕組みについては文献などで読んだことがあり
、劣化が無くメンテナンスの頻度が少ないという利点がありました。「戦時中から色々な
軍の機械を見ていたので、(兵器とは)逆に命を守る方に(活かした)」と坂本さん。
自動開閉装置の小型化にも成功した坂本さん。性能をそのままに高さや幅をこれ
までの半分以下にし、小さな水門にも設置できるようにしています。「簡単なもの
を安く作って、災害に遭わないように沢山設置してもらいたい」と坂本さん。
伝統産業を支える機械や災害から命を守る防災製品まで、77歳を過ぎてもなお
衰えないものづくりへの情熱がありました。坂本さんはこの言葉を色紙に書きま
した。【地域社会に貢献する 坂本税】「地域にお世話になってここまでやって
これた。ノウハウなど皆さんにお伝えして少しでも役に立てればと思っている」。生涯
現役と話す坂本さん。「技術者」としての誇りを胸に、ものづくりへの挑戦は続きます。

【理想の農業を追い求める 高津中太さん】

15年03月12日(木)

今日は、有機野菜を販売する傍ら、農業を志す人達の職業訓練にも取り組む
梼原町の男性です。「厚さも色も歯触りも違う。生きてるって事なんです。生き
物だから個性もあるし」。有機栽培にこだわり100種類以上の野菜を生産。販売
方法はインタ-ネットのみにも関わらず、県外から注文を受けるほどの評判です。又、
男性は農業を志す人達のために県内で初めて国の認可を受けた有機農業の職
業訓練校を開校しました。「農業特に植える作業は、それなりに植えればおしま
いだけどその前にどういう環境になっているかという方が大事」。県外から梼原
に移住して20年、男性が農業を通して伝えたい思いとは。今日の土佐人力は、農
業法人「ロカヴォ」の高津中太さん(67歳)です。
梼原町松原地区にある1棟のビニ-ルハウス。ここで、農業で生計を立てていきたいと
考える人達に仕事のノウハウを教えているのが高津さん。高津さんは、4年前、農業生
産法人を立ち上げ、梼原町内の2地区で有機栽培の野菜を生産・販売しています。
「ビタミンCは熱に弱い。水にも弱い。サラダはちぎってから洗わない。せめてちぎる前
に洗って水切ってからちぎる」と高津さん。この日、最初に行ったのは座学。野菜
の栽培技術だけでなく、栄養学や調理法など様々な観点から品種の特性を教えて
いきます。講義は、午前いっぱい2時間かけて行われました。
高津さんは1947年、静岡県で生まれ育ちました。形に残る仕事がしたいという夢
と幼い頃、食糧難を経験したことで農業に関心を持ち、1981年に千葉県で当時、国
内では珍しかったハ-ブと西洋野菜に特化した農場を開きました。その後、世間に
ハ-ブが認知され事業も拡大しますが、自分の理想と現実の仕事の内容にギャップを
感じ始めた高津さんは、ある日、全ての仕事を辞めてしまいます。「なるべく不便な
所に行きたい」と放浪の末に辿り着いたのが梼原の土地でした。
1995年に梼原に移住した高津さんは、有機栽培と希少価値の高い品目にこだわり
国内外の固有種など100種類以上の野菜やハ-ブを育て始めます。「世界中には同じ野
菜でも何十種類と色んな物がある。一つの品種でも色々あるのを知って欲しい」と
高津さん。高津さんは、生産した野菜を県内外の小売店に出荷していましたが、自分
の理想とする農業経営を追い求め、2011年に農業生産法人ロカヴォを設立。インタ-ネット注
文のみにしました。注文を受けて収穫した野菜は、翌日に出荷し、首都圏を中心に
300組あまりの顧客を獲得、100組以上が定期購入しています。
こうした活動に注目した国が、高津さんに農業を目指す人達の就労支援を目的
とした職業訓練の実施を依頼、2013年8月、県内で初めてとなる有機農業の専門家
を育てる職業訓練校を開校しました。梼原に移住して20年が経つ中、高津さんは、
地元が活性化するには他の所にはない希少価値のある商品を生み出さないと生
き残れないと考えています。「こういう所で農業を基盤として成り立っていける
という観点から見れば、選択肢は狭まれて特殊なものを希少価値で売っていく」
。高津さんの地元活性化に対する考え方に共感し、週末限定で高津さんの野菜を
練り込んだパンやサラダのランチを販売している地元のパン職人の木下さんも「美味し
いです。噛めば噛むほど味が出る。どの野菜も旨味がある」と話します。
「いい顔を見ただけで私自身が嬉しくなる。そうした人間関係の中で生きていく
基本である食べ物を作れるのであればそれ以上望む物はないと思ってます」と高
津さんは、農業には経済的な豊かさではなく、人間の基本的な営みが大切であると
言います。農業に情熱を捧げる高津さんの原動力とは?【悔いの無い人生です】
「一生懸命やることが私にとっては自分の命を大切にすること。その命を誰かに
引き継いでいく」。自分の理想の農業を追い求める高津さんは、その志を次の世代
に残すため、さらなる情熱を燃やし続けます。

【お母さん業界新聞 高木真由美さん】

15年03月05日(木)

今日は、子育て中のお母さんが記者となって活動する「お母さん業界新聞」の
取り組みです。お母さんと子供の笑顔一杯の写真が印象的なこの紙面、その名
も「お母さん業界新聞」。1年ほど前から県内のお店や公共施設などで見かける
ことが増えてきました。月刊誌で8ペ-ジのこの新聞は、取材から編集、配布まで
全てを子育て中のお母さん達が担っています。今日の土佐人力は、「お母さん
業界新聞・高知版」編集長高木真由美さん(51歳)です。
香美市土佐山田町。この商店街に「お母さん業界新聞」の事務所があります。
この新聞は、全国版の表紙と裏面を地元情報に差替え、去年4月創刊から月1回
発行してきました。取材から配布までの作業に携わっているのは、香美市を中
心とした子育て中のお母さん達10数人です。出版事業自体はまだ採算ベ-スに
届いておらず、ほとんどが手弁当に近い状態。この編集部を取り仕切るのが編
集長の高木さんです。
取材活動は子育てをキ-ワ-ドに様々な分野にわたります。この日は、毎月1面に
掲載される連載企画の取材。高木さんとお母さんライタ-がベビ-マッサ-ジの担当者
にインタビュ-しました。「これからのお母さんに必要だな発信したい情報だなと思
うないようだったので良かった」と高木さん。高木さんは、愛媛県八幡浜市出身。
結婚後、30歳での出産を機に専業主婦に。33歳で香美市に移り、2人の子供を育て
てきました。子育てにスポットを当てたNPO活動等にも取り組んできましたが、そん
な時に出逢ったのがこの「お母さん業界新聞」です。全国版の編集長藤本裕子さん
が高知へ講演に来た時、地域版発行を提案したのに対し、真っ先に手を挙げたの
が高木さんでした。「講演の場で新聞を皆で作る機会があり、その時の参加した
お母さん達がとても嬉しそうで笑顔に溢れていて。新聞っていいなぁ自分達で
もできるのではと思った」と高木さん。藤本さんは「新聞をきっかけにお母さん
達が繋がるというプロジェクトで、作る事も大事だが重要なのは’作る過程で人と
出逢っていくという事。高知から全国に広げるのが夢」と話します。
全国版編集長からも高い評価を受けているのがオリジナルの温かいデザインで情報
を伝える広告です。新たに広告主になったというお母さんも出来上がりを見て
手作り感のあるカラフルな広告が気に入った様です。この誌面の取材、編集には得意
分野で力を発揮するスタッフ一人一人の力が大きいと言います。高木さんがPTA活動
などで出逢ってきた気心の知れた仲間達です。母親と子供の笑顔を撮影するお
母さんカメラマンや記者は、取材してきた原稿も各自の自宅パソコンで仕上げ、編集長に
送ります。どの記者も家庭や子育てが最優先で、時間のやり繰りをしながら作業
に取り組んでいます。そんな高木さんの活動を高木さんの夫は「若いお母さん小
さい子を抱えるお母さんの気持ちは分かっていて少しは手助けできるかなとい
う部分はあるだろう」と話します。
子育て中のお母さん達に役立つ情報を提供しながら高知のお母さん達が笑顔
で繋がり合えるネットワ-クを築き上げたい。そんな高木さんが大切にしている言葉
があります。【お母さんの笑顔。 高木真由美】「お母さんが笑顔でいてくれた
ら子供も本当に一番嬉しくって元気になって。子供が元気っていう事は街も元
気になる。これからも一人一人のお母さんの笑顔を大切に新聞作りを続けたい」。
「お母さん業界新聞」高知版。2年目を迎えるこの春からは、県内各地に仲間を増や
し、活動や情報のネットワ-クを広げていこうと高木さんは一歩一歩新たなチャレンジを続
けます。

【風情ある町並みを次の世代へ 青木準吉さん】

15年02月26日(木)

今日は、室戸市の風情ある町並みを後世に継承しようと奮闘する男性を紹介
します。この地区で、ひな祭りのイベントを支え、町並み保存の活動に18年に亘り
打ち込んできた男性がいます。「昔の人が残したものを大事に守っていくこと
が我々の務めだと思う」。先人達が残したモノを受け継ぎながら、新たな試み
で地域を元気付けてきたこの男性。その活動の成功のカギとは?今日の土佐人力
は、NPO法人吉川町並み保存会リ-ダ-青木準吉さん(68歳)です。
室戸市吉良川町。明治から昭和初期にかけて、備長炭の生産、流通拠点として
繁栄しました。町並みにはその面影が色濃く残り、1997年に国の「重要伝統的
建造物群保存地区」に選定されています。ここで18年前に始まったのが古民家
にひな人形を飾るイベントです。今では県内各地で行われていて、吉良川はその
元祖と言われています。立ち上げたメンバ-の一人で、町並み保存会の理事長を
務めているのが青木さん。青木さん達は、今週末から開かれる「土佐の町家・ひ
なまつり」の準備に追われています。「自分達が住み慣れた町だからどこが良い
のか。なぜ良いのか。住んでいる人には分からなくても、外部から来てくれた
人に価値をみてもらわないと自分達には分からない」と青木さん。18年前、僅か
古民家3軒の飾り付けで始まったイベントは、今では80軒が参加しています。
吉良川で建設業を営む青木さんが町を案内してくれました。青木さんは、吉良
川の町並みが文化財に選定されてから18年間、町並み保存会のメンバ-として活
動に参加、4年前から理事長を務めています。「昔から台風銀座と言われ、台風が
来たら必ず室戸に上陸。ここは横殴りの雨になり、壁面が屋上と同じ様な状態
になり、水切り瓦を付ける事によって壁を区切り、外へ雨を流していく」と説明
する青木さん。水切り瓦をはじめ防水・防火に優れ、塩害に強い「漆喰壁」、風雨に
弱い継ぎ目を守る「なまこ壁」、暴風から家屋を守る「石ぐろ」。この町並みの特徴
は全て台風から家屋を守るための知恵だったのです。
風情ある街並みは、職人の技の結晶。修復には高額の費用が必要と青木さんは
話します。そして目抜き通りにある修復作業中の一軒の町家へと歩みを進めま
した。青木さんは、職人として13軒の古民家を修復させた他、専門家の知識を
活かし国の補助金を使って家屋修繕をするよう家主を説得、修繕後も維持管理
を請け負っています。修復しなければ潰れて更地になっていたと話す家主も自
ら修復に乗り出し、喜びを感じていました。「低い軒、家並が揃うのが吉良川の
特徴。それがなくなるのは寂しいので良かった」と話す青木さん。
吉良川の町並みをこよなく愛する青木さんは、中でも御田通りは特別な場所
と言います。「山車が出てくる。御神輿、花台、船、人の流れがあったり、祭り文化
が通る御田通りは、御田八幡宮を起点に栄えてきた町なので、ここが一番大事
なスポット」。青木さんは大の祭り好き。御田祭りでは女猿楽役者を演じ、秋の神祭
にも若い頃からずっと関わってきました。この二つの祭りによって強い郷土愛
が育まれたと感じています。そして、息子の正博さんにも後継者の自覚が芽生え
ています。「子供の頃から吉良川以外考えた事がない。修復の仕事に携われてい
るのはとても嬉しいし、やりがいもある」と正博さん。
先人達が受け継いできた伝統を守り、新たなイベントで町を元気付け、住民達の
誇りを取り戻した青木さんは、次のステップに向け郷土への思いは更に強くなって
います。【人・住まい・祭り 青木準吉】「昔からの古い町並み、そこにある住ま
い、そして自然と共に生きてきた中で伝承されてきた祭りが繋がり住みよい町
であるし、お金がなくても心が満足で生活できる。そんな町になったらもっと
人が集まる」。吉良川の町並みを次世代に残すために。青木さんは住民達と共に
これからも奮闘を続けます。

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