RKCアーカイブ

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2022.02.16(水)放送

「高知城、足摺海底館」のアーカイブ

今回(2/16)は、2つのテーマでお送りしました。


《 高知城 》
 
一つ目のテーマは、高知の観光名所であるとともに、高知を代表するシンボル「高知城」

江戸時代から、高知の街並みや人々を見続けてきた‘お城’の歴史を見てみると、何度もピンチがありました。その危機を乗り越えてきた高知城は、「幸運の城」ともいえる存在です。



高知城は、土佐藩の初代藩主、山内一豊が1601年(慶長6)に建設を命じ、10年の歳月を経て完成しました。


その後、1727年(享保12)に、火事で追手門以外のほとんどを焼失してしまい、24年かけて復旧。


明治維新後の廃城令では、全国の多くの城が取り壊される中、高知城は、追手門と本丸が取り壊されずに残りました。


江戸時代の天守が残っている城は、全国で12。 本丸が完全な形で残っているのは、全国で高知城だけです。

高知城のピンチは、廃城令のあとも、何回もありました。


戦争末期の昭和20年の高知大空襲

高知の市街地のほとんどが焼き尽くされましたが、高知城は残りました。


その翌年、昭和21年の南海大地震

県内の多くの建物が全壊半壊し、高知市内も大きな被害を受けました。

しかし、その中でも、高知城は、大震災に耐えました。


そのあとも、高知城は、変わらず、多くの県民が集う場所。

江戸時代から時代が変わり、季節が変わっても、高知城は、いつも、同じ場所で、私たちの暮らしを見つめています。

廃城令にも、空襲にも、災害にも、耐えぬいた ‘幸運の城’、高知城。

「何があっても大丈夫、頑張れ!」と見守ってくれているようです.



《 足摺海底館 》   *「たまねえさん」からのリクエスト

県西部の観光施設「足摺海底館」は、今年、50周年を迎えました。
今では、お馴染みの施設ですが、当時は、未来への夢を感じさせる画期的な海中展望塔。完成までには、多くの人の苦労がありました。


・「50周年を迎えた足摺海底館」

国立公園「足摺宇和海」の中でも、土佐清水市の竜串地区は、昭和45年(1970)に日本初の「海中公園」に指定されました。
その竜串のシンボルになっているのが「足摺海底館」です。

自然豊かな足摺の海に生息する「魚」や「サンゴ」を間近に見ることができ、手軽に海中散歩ができる観光施設。
今ではお馴染みの施設ですが、誕生当時は、未来への夢を感じさせる ‘画期的な’ 海中展望塔でした。


・「県民ニュース(昭和44年)で紹介された構想」

足摺が「国立公園」や「海中公園」に指定される前から、「海中展望塔」の構想はありました。


・「足摺海底館 ~誕生まで~」

足摺海底館は、各方面の専門家が力を合わせての大事業。
‘どの場所に建設するか’、‘どのような施設にするか’、プロジェクトチームが結成され、意見交換が活発におこなわれました。

「海の自然は破壊しない」ことを絶対条件に、現地調査には2年をかけ、掘削作業も、火薬や大型機械は使わず、手作業でおこなわれました。

展望塔の建設には、コンピュータが用いられ、台風、津波、土佐独特の厳しい気象条件にも耐えられるのか、十分に分析されました。

兵庫県でおこなわれていた本体工事は、上部と下部を接続して最後の仕上げに。そして、世界最大の海中展望塔が完成しました。


完成した展望塔は、国内最大級のフローティングクレーンで足摺へ。


加古川を後に、瀬戸内海を進み、3日目の朝、ようやく見えてきた足摺岬。竜串では、展望塔につながる橋げたも待っていました。

そして、昭和46年12月15日。待望の「足摺海底館」が誕生!
海中7m 海上24m 収容人員160名という世界最大の海中展望塔です。


足摺海底館は大きな話題となり、オープン初日の元日。早朝から、徹夜組も含め約300人の行列ができました。

日本初の「海中公園」、足摺の海の中が見られるとあって、県内外から人が訪れ、オープン2日間で来場した人の数は1万人。

それから50年…、誕生から半世紀で訪れた人の数は、640万人にも上ります。


水槽ではない、自然の中に生きる魚やサンゴが見られる臨場感。

‘竜串のシンボル’ 足摺海底館は、これからも、高知の海の豊かさを、私たちに教えてくれるはずです。



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