RKCアーカイブ

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2021.02.24(水)放送

「荒ぶる情熱 ~野球人・溝渕峯男~ 」

高知県は、甲子園での高校野球の勝率が全国トップクラスで、プロ野球・キャンプも、かつて最大5球団が同時におこなったことがあり、「野球王国」といわれたこともありました。

その礎を作り、高知県で初めての甲子園優勝監督にもなった一人の野球人を、今回の「RKCアーカイブ」で特集しました。



【荒ぶる情熱 ~野球人・溝渕峯男~】


溝渕峯男さんは、大正2年(1913年)に高知市で生まれた。


子どもの頃、県内でも野球が盛んになり始め、友人たちと結成した軟式野球チームでプレーしたが、野球の技術は上手い方ではなかった。

それでも、野球への情熱はさらに高まり、「高知でもっと野球を普及させたい」と思っていた頃、高知商業の選手をスカウトに来ていた藤本定義さんと運命的な出会いをする。

藤本さんは、巨人や阪急、阪神の監督を務めた人で、溝渕さんは、藤本さんの影響を受け、指導者として野球に係わっていくことになった。


土佐高校の監督時代には、昭和28年に春夏連続で甲子園に出場し、夏の大会では準優勝。

甲子園に出場したことがなかった安芸高校でも、監督就任3年で初出場を勝ち取る。

そして、高知高校時代には、昭和39年夏、高知県勢として初めての甲子園優勝という快挙を果たした。


さらに、高知を大リーグのキャンプ地・フロリダのようにしたいという構想を持っていた溝渕さんは、県内のプロ野球キャンプの誘致にも尽力。

安芸高校で監督をしていた時代に、安芸球場の建設を働きかけ、阪神タイガースの安芸キャンプ誘致に貢献。

また、藤本定義さんや根本陸夫さん(近鉄スカウト、西武監督などを務めた)との交流で、近鉄の宿毛キャンプ、南海の大方キャンプ、西武の春野キャンプなども実現させた。


自分の信念を貫き、野球に対するあふれる情熱でグラウンドで選手たちを指導してきた溝渕峯男さん。

後年は、バックネット裏から野球を見守り、グラウンドのプレーに一喜一憂していたが、その眼差しは、とても優しく見えた。


溝渕さんは、平成13年(2001年)になくなったが、生前に語っていた言葉が残っている。


「高校野球の監督に必要なものは、豊かな経験と感覚、そして、燃ゆるがごとき情熱である」   溝渕峯男




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