RKCアーカイブ

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2021.04.21(水)放送

「牧野富太郎」のアーカイブ

4月24日は、高知出身の植物学者「牧野富太郎」博士の誕生日です。そこで、今回の「RKCアーカイブ」は、アーカイブ映像で牧野博士を特集しました。


文久2年(1862年)、高岡郡佐川町に牧野富太郎は生まれました。

富太郎の生家は、造り酒屋を営む、「岸屋」という古い商家で、裕福な家庭の一人息子として生まれましたが、3歳の時に父を、5歳の時に母を亡くしています。

富太郎は、寺子屋や私塾で学んでいましたが、子どもの頃から、植物が好きで、最も素晴らしい学校は、自然そのものでした。

明治17年、富太郎は23歳の時に上京し、東京大学植物学教室で学んだほか、ロシアの東アジア植物学の権威、マキシモヴィッチ博士との交流も始まりました。

日本の植物学を世界の水準に高めたいと思っていた富太郎は、自らが描く精密な植物画を出版するため、印刷技術まで学びました。

その後、新種の植物などの発見で、「TOMITARO MAKINO」の名前は、一躍、世界に知れ渡りました。


牧野富太郎の生涯を語るとき、忘れてならないのは、妻・壽衛(すえ)の存在です。膨大な借金をしながらも、彼を信じ、彼の植物研究を一番理解していた妻。しかし、妻・壽衛は、55年で短い生涯を閉じました。


壽衛を失ってからの富太郎は、その悲しみや寂しさを紛らわすかのように大規模な採集や研究に没頭します。


79歳の時には、中国に渡り、サクラの調査に出かけるなど、その行動範囲は、驚異的なものでした。


博士の植物への情熱は、90歳を過ぎても衰えることはありませんでした。自宅で毎日のように仕事をし、メガネなしで植物画を描いたといいます。



また、牧野博士は、故郷・高知を大切に思い、特に、自らが生まれた佐川町に対しては、強い思い入れがありました。

明治35年には、東京から佐川にソメイヨシノを送り、それがきっかけで、佐川は、県内でも有数の桜の名所になりました。


草木を愛し、草木に愛された人、牧野富太郎


昭和32年、自らを草木の精と称した牧野富太郎は、その94年の生涯に幕を閉じま
す。

牧野博士の石碑には、こう刻まれています。


「草を褥に 木の根を枕 花と恋して 90年」




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