「お風呂(銭湯)」と「高知市立動物園」のアーカイブ
今回の「RKCアーカイブ」のテーマは、2つ。「お風呂(銭湯)」と「高知市立動物園」でした。
【お風呂(銭湯)】
・「実習船 土佐海援丸 帰港」 *昭和35年(1960)
遠洋漁業の実習を終えた室戸岬水産高校の実習船が帰港し、乗組員が真っ先に向かったのは、「銭湯」でした。3ヶ月ぶりの陸の上でのお風呂に、とても嬉しそうな様子でした。
・「白滝鉱山」 *昭和38年(1963)
大川村の白滝地区には、江戸時代から続く日本有数の金属鉱山がありました。地下の坑内での仕事が終わって、子どもたちと一緒に向かったのは、「共同風呂」。親子で一緒に入って、背中の流しあい。
・「高知市内の銭湯の様子」【写真1枚目】 *平成20年(2008)
「昔は銭湯に行ったけど、最近は…」という方もいらっしゃるでしょう。高知市の銭湯の中は、昔と変わらない雰囲気が残っていました。ヘルスメーターがあり、マッサージの椅子があり、そして、飲み物は、牛乳やコーヒー牛乳が「ビン入り」で冷やされていました。
・「銭湯の中の桜」 *平成17年(2005)
春、サクラのシーズン。ある銭湯では、毎年、サクラを飾っていて、一足早く満開を迎えていました。お湯の上に、花びらがヒラリと落ちて…、おつなものですね。
・「子どもを銭湯に招待」 *平成18,20,22年(2006,2008,2010)
ある銭湯では、子どもたちの体験入浴をおこなっていました。子どもたちは、よもぎ風呂に、サウナ風呂、水風呂にも挑戦!みんな、ワイワイガヤガヤ。大はしゃぎで楽しんでいました。
【高知市立動物園】 *高知市の「匿名希望」さん(61歳)の女性からのリクエスト
・「高知市立動物園」
高知市立動物園は、規模が小さいながらも、気軽に行ける「お城の動物園」。訪れた人の数は、42年間で約450万人。高知市の町中で動物と触れ合うことができる貴重な場所でした。
高知市立動物園ができたのは、昭和25年。その年に開催された「南国博(南国高知産業大博覧会)」の施設の一つとして、高知公園に開設されました。
・「賑わう行楽地(高知市立動物園)」 *昭和38年(1963)
当初、動物園で一番人気を集めていたのは、象の「南海子」」です。昭和46年に死んでしまうまでの約20年間、高知市立動物園の象徴として親しまれてきました。
・「子象が高知へ(ターコ)」 *昭和51年(1976)
南海子が死んだ5年後の昭和51年10月、新たに、一頭の象がやってきました。タイから来た小象の「ターコ」。多くの人が歓迎し、動物園までのお披露目パレードもおこなわれました。
・「子象もう一頭来る(チャム)」【写真2枚目】 *昭和52年(1977)
その翌年には、もう一頭の象「チャム」もやってきました。2頭は、高知市立動物園の人気者でした。
・「動物園閉園セレモニー」【写真3枚目】 *平成4年(1992)
たくさんの人の思い出が詰まった「お城の動物園」。しかし、施設が狭く、老朽化したこともあり、引っ越しが決まりました。
・「わんぱーくこうちアニマルランドへ引っ越し」 *平成4年(1992)
動物たちが長年住み慣れた我が家を後にし、向かったのは、新しく建設された「わんぱーくこうち」。施設は新しくなり、敷地の広さは約8倍になりましたが、あのこじんまりとして身近な存在だった「お城の動物園」の歴史は、引き継がれ、今でも続いています。
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