RKCアーカイブ

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2021.09.29(水)放送

「高知県 青年の翼」のアーカイブ



今回の「RKCアーカイブ」の放送日は「9月29日」。49年前のこの日、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相が共同声明に署名し、日本と中国の国交が正常化しました。

そこで、今回は「中国」をテーマに、今から42年前、高知県の青年たちが中国を訪問した時の映像を中心にお送りしました。(高知市の「ミシガン」さんからのリクエスト)

その後、めざましい発展を遂げた中国は、当時、どのような様子だったんでしょうか。


<高知県 青年の翼>
まずは、「高知県青年の翼」の解説

「高知県 青年の船 初航海」 *昭和46年(1971)

今から50年前に初めておこなわれた「高知県青年の船」。高知県の若者が、県外や国外に行って、見学や交歓をしようというもので、この「青年の船」が何回か実施された後、今度は、飛行機で海外を訪問する「高知県青年の翼」が始まりました。


「第一回 高知県 青年の翼」 *昭和54年(1979)


第一回の訪問地は、当時、まだ発展途中だった「中国」
この時の中国は、改革開放路線へと、国の方針が大きく転換したばかり。古いものと新しいものが極端に入り混じっていました。首都「北京市」は、着実に前進していましたが、近代化への変化のスピードは、訪れた場所、それぞれで違っていました。

人口約300万人の江蘇省の省都「南京市」

行き交う人も多く、一見、華やかにも見えましたが、繁華街を少し離れると、古い土の家が並んでいました。

まだ、暮らしに豊かさはありませんでしたが、子どもたちは熱心に学んでいました。一行は、中学校を訪問し、活気に溢れる授業、子どもたちの真剣な眼差しが、青年たちの目に焼き付いたといいます。



最後の目的地は、中国では、最も大きくにぎやかな都市「上海市」

町はにぎやかで、活気がありました。町で歩く女性で目に付いたのは「パーマネント」。かつて、パーマは、ブルジョア的なものとして禁止されていましたが、解禁となり、多くの女性がパーマをかけに店を訪れていました。

一方、大きな問題となっていたのは、住宅問題。人口9億人を抱える中国。青年たちが訪れた労働者の住宅団地では、日本の6畳二間程の部屋に5人が生活。台所も、何世帯かが共同で使っていました。



<青年の翼から24年後の中国>

その後、中国がどのように変わったのか。青年の翼から、24年後。高知県と友好提携を結んでいる安徽省を取材した映像がありました。

「青年の翼から24年後の安徽省」 *平成15年(2003)

安徽省の省都・合肥市は、にぎやかな街でした。
企業誘致に力を入れ、「合肥ハイテク開発区」には多国籍企業など5,000社以上の外国企業が進出



続いて、訪れた安徽省第二の都市・蕪湖市も大きく発展していました。

* 18年前との比較



* 建設中の近代的なマンション 


中国は、短期間でめざましい発展を遂げていました。


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