2021.12.15(水)放送
「高校女子駅伝(山田高校)」のアーカイブ
12月26日に京都市で開催される「全国高校駅伝」に、今年も、高知県代表として出場する「山田高校・陸上競技部」をアーカイブ映像で特集しました。
全国の舞台で入賞するまでには、指導者と選手たちとの‘信頼’と‘絆’がありました。
山田高校は、県内では、絶対的なチャンピオン。
全国大会につながる高校女子駅伝の県予選では、平成元年の第1回大会から、ずっと負け知らず。
四国大会でも6連覇という記録を持ち、全国大会でも県勢女子最高となる「7位入賞」(平成27年・2015)の実績があります。
今の選手たちは、学校の寄宿舎で寝食をともにしていますが、
昔は、一軒家を部の合宿所として共同生活をしていました。
選手たちの面倒を見ていたのは、前監督の浜田三男さんと妻の陽子さん。二人は、選手と一緒に暮らし、常に選手たちを見守ってきました。
この合宿所が始まったのには、理由がありました。
1980年代、高知県の女子長距離界はどん底の状態でした。
全国都道府県対抗女子駅伝で3年連続最下位になるなど低迷し、県議会の質問戦で取り上げられたこともありました。
「高知の女子駅伝を強くするには?」
強化の白羽の矢が立ったのが、山田高校の監督だった浜田さんでした。高知では、実業団や大学に期待できない状況にあり、「高校生の強化」に期待するしかありませんでした。
浜田さんは、部員の面倒を見るため、自宅の庭に自費で合宿所を建設し、選手たちとの共同生活を始めました。
浜田監督の妻の陽子さんも、それまで勤めていた看護師の仕事を辞めて、食事や洗濯などの世話をして選手たちを支えました。
浜田さん夫婦は、20年近く、たくさんの生徒の‘成長’と‘巣立ち’を見守り、山田高校はチームとしても力をつけました。
浜田前監督が65歳になるのを機に2人は合宿所を去り、次に受け継いだのが、現監督の永田克久監督でした。
永田監督は、家族と離れて、合宿所に入りました。
練習後は、急いでスーパーマーケットで大量の食材を買って帰り、みんなの夕食を作りました。
最初は、卵焼きもつくれないほど料理が苦手でしたが、本を見て必死で勉強し、生徒も当番を決めて手伝いました。
部員たちも努力しました。陸上に集中するため「携帯電話禁止!」のルールを決めて守りました。
一方、永田監督も消灯時間になっても疲れた身体で台所に立ち、明日の食事の準備をするなど、‘これまで続いてきたことをここで終わらせてはいけない’と懸命に努力しました。
それから、16年…
合宿所がなくなって10年余り経ちましたが、今も、永田監督と選手たちの関係は変わりません。
16年前のキャプテンも、今年のキャプテンも、全国大会の前のインタビューで同じ言葉を口にしました。
「監督に恩返しがしたい…」
時代や環境は違いますが、山田高校の伝統は、今も色褪せていません。
昔の選手と今の選手は、同じ歴史の流れの中でつながっています
先輩たちの思いという‘たすき’を受け取り、山田高校は、今年、33回目の全国大会に出場します!
「RKCアーカイブ」では、皆さまからのご意見、ご感想や、もう一度見たい特集等のリクエストをお待ちしています。番組HP、お葉書でお寄せください。
郵便番号 780-8550 高知放送「RKCアーカイブ」の係まで。お待ちしています。
採用させていただいた方には、ささやかですが、Rケーシーの記念品「クリアファイル」を差し上げます。
全国の舞台で入賞するまでには、指導者と選手たちとの‘信頼’と‘絆’がありました。
山田高校は、県内では、絶対的なチャンピオン。
全国大会につながる高校女子駅伝の県予選では、平成元年の第1回大会から、ずっと負け知らず。
四国大会でも6連覇という記録を持ち、全国大会でも県勢女子最高となる「7位入賞」(平成27年・2015)の実績があります。
今の選手たちは、学校の寄宿舎で寝食をともにしていますが、
昔は、一軒家を部の合宿所として共同生活をしていました。
選手たちの面倒を見ていたのは、前監督の浜田三男さんと妻の陽子さん。二人は、選手と一緒に暮らし、常に選手たちを見守ってきました。
この合宿所が始まったのには、理由がありました。
1980年代、高知県の女子長距離界はどん底の状態でした。
全国都道府県対抗女子駅伝で3年連続最下位になるなど低迷し、県議会の質問戦で取り上げられたこともありました。
「高知の女子駅伝を強くするには?」
強化の白羽の矢が立ったのが、山田高校の監督だった浜田さんでした。高知では、実業団や大学に期待できない状況にあり、「高校生の強化」に期待するしかありませんでした。
浜田さんは、部員の面倒を見るため、自宅の庭に自費で合宿所を建設し、選手たちとの共同生活を始めました。
浜田監督の妻の陽子さんも、それまで勤めていた看護師の仕事を辞めて、食事や洗濯などの世話をして選手たちを支えました。
浜田さん夫婦は、20年近く、たくさんの生徒の‘成長’と‘巣立ち’を見守り、山田高校はチームとしても力をつけました。
浜田前監督が65歳になるのを機に2人は合宿所を去り、次に受け継いだのが、現監督の永田克久監督でした。
永田監督は、家族と離れて、合宿所に入りました。
練習後は、急いでスーパーマーケットで大量の食材を買って帰り、みんなの夕食を作りました。
最初は、卵焼きもつくれないほど料理が苦手でしたが、本を見て必死で勉強し、生徒も当番を決めて手伝いました。
部員たちも努力しました。陸上に集中するため「携帯電話禁止!」のルールを決めて守りました。
一方、永田監督も消灯時間になっても疲れた身体で台所に立ち、明日の食事の準備をするなど、‘これまで続いてきたことをここで終わらせてはいけない’と懸命に努力しました。
それから、16年…
合宿所がなくなって10年余り経ちましたが、今も、永田監督と選手たちの関係は変わりません。
16年前のキャプテンも、今年のキャプテンも、全国大会の前のインタビューで同じ言葉を口にしました。
「監督に恩返しがしたい…」
時代や環境は違いますが、山田高校の伝統は、今も色褪せていません。
昔の選手と今の選手は、同じ歴史の流れの中でつながっています
先輩たちの思いという‘たすき’を受け取り、山田高校は、今年、33回目の全国大会に出場します!
「RKCアーカイブ」では、皆さまからのご意見、ご感想や、もう一度見たい特集等のリクエストをお待ちしています。番組HP、お葉書でお寄せください。
郵便番号 780-8550 高知放送「RKCアーカイブ」の係まで。お待ちしています。
採用させていただいた方には、ささやかですが、Rケーシーの記念品「クリアファイル」を差し上げます。