2022.02.02(水)放送
「桂浜、坂本龍馬像」のアーカイブ
今回のRKCアーカイブは、高知を代表する観光地の「桂浜、坂本龍馬像」をアーカイブ映像で特集しました。
≪ 桂浜 ≫ *高知市の「イモケンピ」さんからのリクエスト
・「桂浜(白黒映像)」 *昭和39年(1964)
桂浜は、雄大な太平洋に面した景勝地。県民に親しまれているだけでなく、県外客も多く訪れます。
かつては、展望台がありました。
海抜100mの高台に作られた高さ30mの展望台。
ここから見る景色は絶景で、東は室戸、西は足摺までが一望できました。望遠鏡でのぞくと、室戸の灯台もくっきりと見えたとのこと。
桂浜が、特に賑わうのは、この時でした。
・「月の名所 桂浜」 *昭和43年(1968)
桂浜は、明治時代から「月の名所」として知られ、よさこい節にも唄われています。
‘中秋の名月’の時には、月見客が1万人を数えたこともあったそうです。
さぞかし、皆さん、月に注目しているのかと思いきや…
宴会で盛り上がっていました。
・「浜にあった土産物店」
以前は、浜辺に売店が並んでいました。
‘浜に売店が並んでいると美しい景観を損ねる’として、砂浜を自然の姿に戻すため、売店を移転させることに。昭和55年には、浜から売店の姿が消えました。
・「かつての桂浜水族館」
桂浜水族館の前の建物です。現在の場所から約150m東のところにありました。
昭和6年に開設された歴史のある水族館。
昭和59年(1984年)に開かれた「黒潮博覧会」にあわせて、移転新築されることになりました。
・「桂浜水族館 リニューアルオープン」 *昭和59年(1984)
そして、昭和59年3月20日、新しく生まれ変わった桂浜水族館がオープンし、たくさんの人が訪れました。
続いては、「坂本龍馬像」のアーカイブ。「坂本龍馬像」のストーリーをアーカイブ映像でご紹介しました。
≪ 坂本龍馬像 ≫ *高知市の「オバサン61」さんからのリクエスト
・「龍馬像を訪れる観光客」
桂浜の「坂本龍馬像」のもとには、時代が令和になっても、たくさんの人がやってきます。
坂本龍馬は、幕末の時代、「薩長同盟」の締結や「大政奉還」など、近代日本の誕生に大きく貢献しましたが、なくなった頃は、その存在と活躍はあまり知られていませんでした
・「龍馬像 誕生へ」 *平成10年(1998)
「龍馬の活躍をもっと多くの人に知ってもらいたい」、「地元の英雄の像を造ろう」と、募金活動が始まったのは、大正時代の末。高知の青年たちが立ち上がりました。
青年たちは募金集めに奔走し、当時のお金で「2万5千円」、現在のお金に換算すると、7000~8000万円に相当する建設資金を集めました。
そして、昭和3年5月、坂本龍馬像は完成しました。それ以降、龍馬像のもとには沢山の人が集まり、桂浜の坂本龍馬像は、高知を代表する観光名所になりました。
しかし…、
建立から半世紀が過ぎた頃になると、龍馬像に傷みが目立ち始めました。
台座もコンクリートがはがれ落ちるようになり、龍馬像は新たに修復しなければならない時期を迎えました。
そして…、
・「坂本龍馬像 修復キャラバン」 *昭和57年(1982)
この時、立ち上がったのも、その時代の青年たちでした。50年前の先輩たちと同じ想いで、修復資金を集め、子どもから大人からまで、多くの浄財が集まりました。
・「坂本龍馬像 修復完成 除幕式」 *昭和58年(1983)
そして、生まれ変った龍馬像が登場しました
・「龍馬記念館 募金運動」 *昭和60年(1985)
龍馬像以外でも、龍馬のための募金活動がありました。
昭和60年、桂浜に龍馬の記念館を作ろうという話が持ち上がったときも県内の若者たちが動きました。
・「坂本龍馬記念館 完成」 *平成3年(1991)
そして、龍馬像と同様、多くの青年たちの募金活動で「坂本龍馬記念館」がオープン。
6年がかりで全国から集まった募金は、8億円にもなりました
・「桂浜に立つ坂本龍馬像」
その人が喜ぶなら、その人のためなら、何かしてあげたくなる人っています。
坂本龍馬は、まさに、そんな人物なのでしょう。
今も、昔も、桂浜に坂本龍馬は立ち、太平洋を見つめています
どんな時代になっても、たくさんの人の想いを受け、坂本龍馬像は、この場所に立ち続けます!
「RKCアーカイブ」では、皆さまからのご意見、ご感想や、もう一度見たい特集等のリクエストをお待ちしています。番組HP、お葉書でお寄せください。
郵便番号 780-8550 高知放送「RKCアーカイブ」の係まで。お待ちしています。
採用させていただいた方には、ささやかですが、Rケーシーの記念品「クリアファイル」を差し上げます。
≪ 桂浜 ≫ *高知市の「イモケンピ」さんからのリクエスト
・「桂浜(白黒映像)」 *昭和39年(1964)
桂浜は、雄大な太平洋に面した景勝地。県民に親しまれているだけでなく、県外客も多く訪れます。
かつては、展望台がありました。
海抜100mの高台に作られた高さ30mの展望台。
ここから見る景色は絶景で、東は室戸、西は足摺までが一望できました。望遠鏡でのぞくと、室戸の灯台もくっきりと見えたとのこと。
桂浜が、特に賑わうのは、この時でした。
・「月の名所 桂浜」 *昭和43年(1968)
桂浜は、明治時代から「月の名所」として知られ、よさこい節にも唄われています。
‘中秋の名月’の時には、月見客が1万人を数えたこともあったそうです。
さぞかし、皆さん、月に注目しているのかと思いきや…
宴会で盛り上がっていました。
・「浜にあった土産物店」
以前は、浜辺に売店が並んでいました。
‘浜に売店が並んでいると美しい景観を損ねる’として、砂浜を自然の姿に戻すため、売店を移転させることに。昭和55年には、浜から売店の姿が消えました。
・「かつての桂浜水族館」
桂浜水族館の前の建物です。現在の場所から約150m東のところにありました。
昭和6年に開設された歴史のある水族館。
昭和59年(1984年)に開かれた「黒潮博覧会」にあわせて、移転新築されることになりました。
・「桂浜水族館 リニューアルオープン」 *昭和59年(1984)
そして、昭和59年3月20日、新しく生まれ変わった桂浜水族館がオープンし、たくさんの人が訪れました。
続いては、「坂本龍馬像」のアーカイブ。「坂本龍馬像」のストーリーをアーカイブ映像でご紹介しました。
≪ 坂本龍馬像 ≫ *高知市の「オバサン61」さんからのリクエスト
・「龍馬像を訪れる観光客」
桂浜の「坂本龍馬像」のもとには、時代が令和になっても、たくさんの人がやってきます。
坂本龍馬は、幕末の時代、「薩長同盟」の締結や「大政奉還」など、近代日本の誕生に大きく貢献しましたが、なくなった頃は、その存在と活躍はあまり知られていませんでした
・「龍馬像 誕生へ」 *平成10年(1998)
「龍馬の活躍をもっと多くの人に知ってもらいたい」、「地元の英雄の像を造ろう」と、募金活動が始まったのは、大正時代の末。高知の青年たちが立ち上がりました。
青年たちは募金集めに奔走し、当時のお金で「2万5千円」、現在のお金に換算すると、7000~8000万円に相当する建設資金を集めました。
そして、昭和3年5月、坂本龍馬像は完成しました。それ以降、龍馬像のもとには沢山の人が集まり、桂浜の坂本龍馬像は、高知を代表する観光名所になりました。
しかし…、
建立から半世紀が過ぎた頃になると、龍馬像に傷みが目立ち始めました。
台座もコンクリートがはがれ落ちるようになり、龍馬像は新たに修復しなければならない時期を迎えました。
そして…、
・「坂本龍馬像 修復キャラバン」 *昭和57年(1982)
この時、立ち上がったのも、その時代の青年たちでした。50年前の先輩たちと同じ想いで、修復資金を集め、子どもから大人からまで、多くの浄財が集まりました。
・「坂本龍馬像 修復完成 除幕式」 *昭和58年(1983)
そして、生まれ変った龍馬像が登場しました
・「龍馬記念館 募金運動」 *昭和60年(1985)
龍馬像以外でも、龍馬のための募金活動がありました。
昭和60年、桂浜に龍馬の記念館を作ろうという話が持ち上がったときも県内の若者たちが動きました。
・「坂本龍馬記念館 完成」 *平成3年(1991)
そして、龍馬像と同様、多くの青年たちの募金活動で「坂本龍馬記念館」がオープン。
6年がかりで全国から集まった募金は、8億円にもなりました
・「桂浜に立つ坂本龍馬像」
その人が喜ぶなら、その人のためなら、何かしてあげたくなる人っています。
坂本龍馬は、まさに、そんな人物なのでしょう。
今も、昔も、桂浜に坂本龍馬は立ち、太平洋を見つめています
どんな時代になっても、たくさんの人の想いを受け、坂本龍馬像は、この場所に立ち続けます!
「RKCアーカイブ」では、皆さまからのご意見、ご感想や、もう一度見たい特集等のリクエストをお待ちしています。番組HP、お葉書でお寄せください。
郵便番号 780-8550 高知放送「RKCアーカイブ」の係まで。お待ちしています。
採用させていただいた方には、ささやかですが、Rケーシーの記念品「クリアファイル」を差し上げます。