2022.03.09(水)放送
「高知の博覧会」のアーカイブ
今回のテーマは、「高知の博覧会」!
昭和の時代、計5回おこなわれ、それぞれの時代に活気や元気を与えてくれました。
【第1回・南国土佐大博覧会(昭和12年・1937)】
昭和10年の国鉄・土讃線の開通を記念して開かれた「南国土佐大博覧会」。
会場は、鏡川河畔で、大きな潮を吹くクジラは、後の鏡川祭りのクジラのアイディアのもとになりました。
地方の博覧会としては、破格の予算規模で、パビリオンの数は、24。
見所がたくさんで、一日では、全部まわりきれなかったそうです。
45日間で45万人が訪れました。
【第2回・南国高知産業大博覧会(昭和25年・1950)】
2回目の博覧会は、戦後間もない昭和25年の「南国高知産業大博覧会」。
まだ戦争が終わって5年、しかも、4年前には、南海大地震もありましたが、復興へと向かう中で、繁栄のきっかけとして開かれました。
この時の主会場は、高知公園。‘お城の動物園’「高知市立動物園」も、この時に誕生しました。
当時、テレビは、日本に5台しかありませんでしたが、そのうちの2台が南国博に展示されました。
四国をご旅行中の昭和天皇もお越しになり、手すき和紙の実演などをご覧になりました。
51日間で33万5千人余りが来場しました。
【第3回・南国高知総合大博覧会(昭和33年・1958)】
日本が高度経済成長にさしかかっていた昭和33年に開かれたのが、「南国高知総合大博覧会」。
第一会場は、高知市役所の新庁舎でした。
レジャー施設が少なかった当時、「子どもの国」は、連日、多くの人で賑わい、ジェットコースターなどの乗り物には長い行列ができました。
芸能ショーには、当時のスター、鶴田浩二や雪村いづみが来高し、会場は観客であふれました。
県内では、テレビ放送がまだ始まっておらず、芸能人の動く姿を初めて見た人がほとんどだったことでしょう。
博覧会には、期間中、52万人が訪れ、経済発展のバネになりました。
【第4回・南国産業科学大博覧会(昭和41年・1966)】
4回目は、高度成長の真っ只中!
過去3回を凌ぐ人気となりました。
4つの会場があり、第一会場は、「高知新聞放送会館」。
完成したばかりで、本来の業務で使う前に、南国博の第一会場として使われました。
第二会場は、今の県民文化ホールの前身となる「県民ホール」。
第三、第四会場は、鏡川を挟んだ両岸で、「防衛科学館」の屋外展示場では、ジェット戦闘機や戦車、火炎放射隊やパラシュート降下の実演などが披露されました。
今の高知市総合運動場があるところには、当時、西日本最大といわれた「プラネタリウム」がありました。
「宇宙科学館」もありましたが、まだ、人類が月に着陸する前で、この3年後に、アポロ11号が月面着陸に成功しました。
50日余りの期間で、約53万人が訪れました。
【第5回・´84高知・黒潮博覧会(くろしお博) (昭和59年・1984)】 *高知市「くろしおくん大好き」さんからのリクエスト
昭和58年の高知空港ジェット化を記念して開かれたのが「黒潮博覧会」でした。
会場は、高知市布師田の国分川沿い、高知球場8個分という広大な土地を造成し、22のパビリオンが完成!
開幕初日の昭和59年3月20日には、1万8千人を超える人たちが入場しました。
話題となったのは、四国4県が出展した「未来の四国館」での未来人が登場するアトラクション。
実際の舞台と映像が合体する立体劇場でした。
そして、くろしお博のテーマ館「くろしお館」では、高さ5m、幅14m、畳だと22畳分ある「マルチスクリーン」。専用コンピューターで制御された30台のプロジェクターで華麗な画像を映していました。
プレイランドで人気を集めたのが「ループ・ザ・ループ」。四国で初めての回転ジェットコースターには、長い行列ができ、4時間待ちだったこともありました。
当時、大人気だった「チェッカーズ」など多くのアーティストが来てのコンサートにも人が集まり、55日間(3/20~5/13)で訪れた人の数は、約102万人。
高知県の人口を大きく上回り、四国の人口の1/4を占め、四国では、史上最大のイベントとなりました
「RKCアーカイブ」では、皆さまからのご意見、ご感想や、もう一度見たい特集等のリクエストをお待ちしています。番組HP、お葉書でお寄せください。
郵便番号 780-8550 高知放送「RKCアーカイブ」の係まで。お待ちしています。
採用させていただいた方には、ささやかですが、Rケーシーの記念品「クリアファイル」を差し上げます。
昭和の時代、計5回おこなわれ、それぞれの時代に活気や元気を与えてくれました。
【第1回・南国土佐大博覧会(昭和12年・1937)】
昭和10年の国鉄・土讃線の開通を記念して開かれた「南国土佐大博覧会」。
会場は、鏡川河畔で、大きな潮を吹くクジラは、後の鏡川祭りのクジラのアイディアのもとになりました。
地方の博覧会としては、破格の予算規模で、パビリオンの数は、24。
見所がたくさんで、一日では、全部まわりきれなかったそうです。
45日間で45万人が訪れました。
【第2回・南国高知産業大博覧会(昭和25年・1950)】
2回目の博覧会は、戦後間もない昭和25年の「南国高知産業大博覧会」。
まだ戦争が終わって5年、しかも、4年前には、南海大地震もありましたが、復興へと向かう中で、繁栄のきっかけとして開かれました。
この時の主会場は、高知公園。‘お城の動物園’「高知市立動物園」も、この時に誕生しました。
当時、テレビは、日本に5台しかありませんでしたが、そのうちの2台が南国博に展示されました。
四国をご旅行中の昭和天皇もお越しになり、手すき和紙の実演などをご覧になりました。
51日間で33万5千人余りが来場しました。
【第3回・南国高知総合大博覧会(昭和33年・1958)】
日本が高度経済成長にさしかかっていた昭和33年に開かれたのが、「南国高知総合大博覧会」。
第一会場は、高知市役所の新庁舎でした。
レジャー施設が少なかった当時、「子どもの国」は、連日、多くの人で賑わい、ジェットコースターなどの乗り物には長い行列ができました。
芸能ショーには、当時のスター、鶴田浩二や雪村いづみが来高し、会場は観客であふれました。
県内では、テレビ放送がまだ始まっておらず、芸能人の動く姿を初めて見た人がほとんどだったことでしょう。
博覧会には、期間中、52万人が訪れ、経済発展のバネになりました。
【第4回・南国産業科学大博覧会(昭和41年・1966)】
4回目は、高度成長の真っ只中!
過去3回を凌ぐ人気となりました。
4つの会場があり、第一会場は、「高知新聞放送会館」。
完成したばかりで、本来の業務で使う前に、南国博の第一会場として使われました。
第二会場は、今の県民文化ホールの前身となる「県民ホール」。
第三、第四会場は、鏡川を挟んだ両岸で、「防衛科学館」の屋外展示場では、ジェット戦闘機や戦車、火炎放射隊やパラシュート降下の実演などが披露されました。
今の高知市総合運動場があるところには、当時、西日本最大といわれた「プラネタリウム」がありました。
「宇宙科学館」もありましたが、まだ、人類が月に着陸する前で、この3年後に、アポロ11号が月面着陸に成功しました。
50日余りの期間で、約53万人が訪れました。
【第5回・´84高知・黒潮博覧会(くろしお博) (昭和59年・1984)】 *高知市「くろしおくん大好き」さんからのリクエスト
昭和58年の高知空港ジェット化を記念して開かれたのが「黒潮博覧会」でした。
会場は、高知市布師田の国分川沿い、高知球場8個分という広大な土地を造成し、22のパビリオンが完成!
開幕初日の昭和59年3月20日には、1万8千人を超える人たちが入場しました。
話題となったのは、四国4県が出展した「未来の四国館」での未来人が登場するアトラクション。
実際の舞台と映像が合体する立体劇場でした。
そして、くろしお博のテーマ館「くろしお館」では、高さ5m、幅14m、畳だと22畳分ある「マルチスクリーン」。専用コンピューターで制御された30台のプロジェクターで華麗な画像を映していました。
プレイランドで人気を集めたのが「ループ・ザ・ループ」。四国で初めての回転ジェットコースターには、長い行列ができ、4時間待ちだったこともありました。
当時、大人気だった「チェッカーズ」など多くのアーティストが来てのコンサートにも人が集まり、55日間(3/20~5/13)で訪れた人の数は、約102万人。
高知県の人口を大きく上回り、四国の人口の1/4を占め、四国では、史上最大のイベントとなりました
「RKCアーカイブ」では、皆さまからのご意見、ご感想や、もう一度見たい特集等のリクエストをお待ちしています。番組HP、お葉書でお寄せください。
郵便番号 780-8550 高知放送「RKCアーカイブ」の係まで。お待ちしています。
採用させていただいた方には、ささやかですが、Rケーシーの記念品「クリアファイル」を差し上げます。