2022.03.16(水)放送
「伊野商業 甲子園初出場初優勝」、「高知新聞放送会館」のアーカイブ
今回(3/16)が「RKCアーカイブ」の最終回!
最後は、楽しくて嬉しい気持ちになるアーカイブを選んでみました。
甲子園の春の選抜が18日に開幕するのを前に、昭和60年、甲子園初出場初優勝を果たした「伊野商業・野球部」にスポットを当てました。
・「伊野商 甲子園出場決定」 *昭和60年(1985)
昭和60年2月、伊野商業に待ちに待った知らせが届きました。創部22年で、ついに野球部の悲願 ‘甲子園出場’がかないました。
伊野商業野球部は、昭和38年、学校創立とほぼ同時に創部。はじめから「甲子園出場」を目標に誕生しました。
それまでは、あと一歩のところで夢を逃してきましたが、この時のチームは、前年の秋の四国大会で準優勝し、ついに長年の悲願を達成しました。
甲子園に向かった伊野商業。初出場ながら大舞台にも緊張を見せず、一戦毎にリズムに乗って勝ち上がり、ついに、準決勝で、清原・桑田のKKコンビを擁する優勝候補筆頭の「PL学園」と対戦することになりました。
PL学園戦を翌日に控えた夜も、伊野商業ナインはリラックスムード。
そして、5万3千人の大観衆が詰めかけた甲子園球場での準決勝でPL学園に勝利!
地元は歓喜! 決勝戦の応援バスは増便となりました。
そして、決勝戦でも、帝京高校を4-0で下し、甲子園初出場初優勝の快挙を達成!!
高知の県立高校の甲子園優勝は初めて。高知市内でも喜びが爆発しました!
翌日、高知に帰ってきた伊野商ナインを待ち構えていたのは、祝福の嵐!
国鉄・伊野駅では、数千人が祝福
県庁でも大歓迎。各階のベランダから、紙吹雪にテープが投げられ、進みにくいほど…
そして、学校では、丁度、始業式と入学式が行われる時で、一層、お祝いムードが増しました。
甲子園初出場で初優勝、さらに、伊野商らしい‘伸び伸び野球’で頂点に立った選手たち。
高知県の高校野球にとっても、歴史に残る優勝でした
さて、高知放送は、今月28日から新しい社屋での放送が始まるため、このスタジオもある高知新聞放送会館からの放送は、あとわずかとなりました。そこで、「RKCアーカイブ」の最後のアーカイブ映像は、「高知新聞放送会館」について放送しました。
・「南国博(南国産業科学大博覧会)」 *昭和41年(1966)
今から56年前、高知市本町の電車通りに完成したのは、40mを超える近代的な高層ビル、「高知新聞放送会館」です。本来の業務で使う前に、この年におこなわれた「南国博(南国産業科学大博覧会)」の第一会場として、多くの人を迎え入れました。
・「南国博後、落成式典」 *昭和41年(1966)
そして、南国博が終わった約5ヶ月後に、正式に落成。高知放送も高知新聞放送会館での業務を開始し、新しい歴史が始まりました。
・「テレビ政見放送」 *昭和44年(1969)
今から53年前の当時の出来事。この年、初めて、テレビでの政見放送が実施され、高知県で初めての政見放送の収録は、高知放送でおこなわれました。候補者も緊張したかもしれませんが、収録するスタッフもかなり緊張していたようです。
・「東館が完成し、全館落成」 *昭和49年(1974)
南国博から8年後の昭和49年には、東館が完成し、全館が落成しました。
この時に登場したのは、県内初の「展望エレベーター」
その他にも、「結婚式場」、「画廊」などがあり、「文化教室」では、「英会話教室」、「華道」や「茶道」の他、「着物の着付け教室」もおこなわれていました。
・「1970年代の高知放送」
そして、RKCの放送も、もちろん、おこなわれていましたが、今とは違う部分がありました。
現在の報道記者は、原稿をパソコンで打ち込んでいますが、当時は、手書き。
また、ニュース映像の編集も、現在のようなVTRではなく、フィルムを使っていたので、切って、つなぎ合わせるという作業をしていました。
・「高知新聞放送会館内の各スタジオ」
ラジオやテレビのスタジオです。
子どもたちが見学や放送体験にやってきたこともありました。
今ではなくなりましたが、かつて、土曜日夕方に生放送していた「公園通りのウイークエンド」のスタジオは、6階にあった「RKCホール」。左側は客席、その他、料理コーナー用のキッチンや応接セットもある広いスタジオでした。
こういったスタジオから、いくつもの番組が生まれました。
これまで多くの放送を届けて、高知放送の番組や出演者と、視聴者・リスナーの皆さんをつなげてくれた「高知新聞放送会館」。
今月28日からは、その役割が新しい社屋に変わり、新しい放送が始まります!
6年間、「RKCアーカイブ」をご覧いただき、ありがとうございました。
28日から始まる新番組の中でも、新たにモデルチェンジして、アーカイブ映像を紹介するコーナーが始まります。新しいアーカイブのコーナーも、是非、ご覧ください。
最後は、楽しくて嬉しい気持ちになるアーカイブを選んでみました。
甲子園の春の選抜が18日に開幕するのを前に、昭和60年、甲子園初出場初優勝を果たした「伊野商業・野球部」にスポットを当てました。
・「伊野商 甲子園出場決定」 *昭和60年(1985)
昭和60年2月、伊野商業に待ちに待った知らせが届きました。創部22年で、ついに野球部の悲願 ‘甲子園出場’がかないました。
伊野商業野球部は、昭和38年、学校創立とほぼ同時に創部。はじめから「甲子園出場」を目標に誕生しました。
それまでは、あと一歩のところで夢を逃してきましたが、この時のチームは、前年の秋の四国大会で準優勝し、ついに長年の悲願を達成しました。
甲子園に向かった伊野商業。初出場ながら大舞台にも緊張を見せず、一戦毎にリズムに乗って勝ち上がり、ついに、準決勝で、清原・桑田のKKコンビを擁する優勝候補筆頭の「PL学園」と対戦することになりました。
PL学園戦を翌日に控えた夜も、伊野商業ナインはリラックスムード。
そして、5万3千人の大観衆が詰めかけた甲子園球場での準決勝でPL学園に勝利!
地元は歓喜! 決勝戦の応援バスは増便となりました。
そして、決勝戦でも、帝京高校を4-0で下し、甲子園初出場初優勝の快挙を達成!!
高知の県立高校の甲子園優勝は初めて。高知市内でも喜びが爆発しました!
翌日、高知に帰ってきた伊野商ナインを待ち構えていたのは、祝福の嵐!
国鉄・伊野駅では、数千人が祝福
県庁でも大歓迎。各階のベランダから、紙吹雪にテープが投げられ、進みにくいほど…
そして、学校では、丁度、始業式と入学式が行われる時で、一層、お祝いムードが増しました。
甲子園初出場で初優勝、さらに、伊野商らしい‘伸び伸び野球’で頂点に立った選手たち。
高知県の高校野球にとっても、歴史に残る優勝でした
さて、高知放送は、今月28日から新しい社屋での放送が始まるため、このスタジオもある高知新聞放送会館からの放送は、あとわずかとなりました。そこで、「RKCアーカイブ」の最後のアーカイブ映像は、「高知新聞放送会館」について放送しました。
・「南国博(南国産業科学大博覧会)」 *昭和41年(1966)
今から56年前、高知市本町の電車通りに完成したのは、40mを超える近代的な高層ビル、「高知新聞放送会館」です。本来の業務で使う前に、この年におこなわれた「南国博(南国産業科学大博覧会)」の第一会場として、多くの人を迎え入れました。
・「南国博後、落成式典」 *昭和41年(1966)
そして、南国博が終わった約5ヶ月後に、正式に落成。高知放送も高知新聞放送会館での業務を開始し、新しい歴史が始まりました。
・「テレビ政見放送」 *昭和44年(1969)
今から53年前の当時の出来事。この年、初めて、テレビでの政見放送が実施され、高知県で初めての政見放送の収録は、高知放送でおこなわれました。候補者も緊張したかもしれませんが、収録するスタッフもかなり緊張していたようです。
・「東館が完成し、全館落成」 *昭和49年(1974)
南国博から8年後の昭和49年には、東館が完成し、全館が落成しました。
この時に登場したのは、県内初の「展望エレベーター」
その他にも、「結婚式場」、「画廊」などがあり、「文化教室」では、「英会話教室」、「華道」や「茶道」の他、「着物の着付け教室」もおこなわれていました。
・「1970年代の高知放送」
そして、RKCの放送も、もちろん、おこなわれていましたが、今とは違う部分がありました。
現在の報道記者は、原稿をパソコンで打ち込んでいますが、当時は、手書き。
また、ニュース映像の編集も、現在のようなVTRではなく、フィルムを使っていたので、切って、つなぎ合わせるという作業をしていました。
・「高知新聞放送会館内の各スタジオ」
ラジオやテレビのスタジオです。
子どもたちが見学や放送体験にやってきたこともありました。
今ではなくなりましたが、かつて、土曜日夕方に生放送していた「公園通りのウイークエンド」のスタジオは、6階にあった「RKCホール」。左側は客席、その他、料理コーナー用のキッチンや応接セットもある広いスタジオでした。
こういったスタジオから、いくつもの番組が生まれました。
これまで多くの放送を届けて、高知放送の番組や出演者と、視聴者・リスナーの皆さんをつなげてくれた「高知新聞放送会館」。
今月28日からは、その役割が新しい社屋に変わり、新しい放送が始まります!
6年間、「RKCアーカイブ」をご覧いただき、ありがとうございました。
28日から始まる新番組の中でも、新たにモデルチェンジして、アーカイブ映像を紹介するコーナーが始まります。新しいアーカイブのコーナーも、是非、ご覧ください。